荒れ野での誘惑

ルカ福音書4章1~13

「四十日間、悪魔から誘惑を受けられた。」(4:2)

誘惑を受け続けた末に、決定的な三つの誘惑を受けたのです。
荒れ野での誘惑は、モーセが四十日四十夜の試みの末に
十戒を授かったという故事と重なります。

悪魔に反撃する言葉はすべて申命記からの引用であり、

「あなたの神、主が導かれたこの四十年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。」(申命記8:2)

という言葉につながっています。

「悪魔」はディアボロスというギリシア語で、元の意味は「中傷する者」「敵対者」です。
ヘブライ語ではサーターン、これを音訳したギリシア語がサターナスで、「サタン」と訳されます。
中傷し攻撃する者、そして罪に誘い込む力です。

「神の子なら、この石にパンになるように命じたらどうだ。」(4:3)

これは、「あなたは神の子だから、何でもできるはずだ。」というささやきです。
あなたが神の子であるのは間違いない。
それなら、与えられている力を自分の命をつなぐために使っても、何の問題もない。
こんな荒れ野で野垂れ死にしていいのか、と誘惑したのです。

「悪魔はイエスを高く引き上げ、一瞬のうちに世界のすべての国々を見せた。」(4:5)

「世界」オイクメネーは「人間が住める地域」、
のちにはローマ帝国の支配する地域を指すようになります。

「国々」バシレイアは、「神の国」バシレイア・トゥ・セオーでも使われます。
悪魔は、神の国を否定し人間の力を誇るローマの支配を見せたのです。

「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。・・・もしわたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」(4:6~7)

わたしにひれ伏すなら、世界を牛耳っているローマの権力と繁栄を与えよう、とささやいたのです。

「悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて言った。『神の子なら、ここから飛び降りたらどうだ。』」(4:9)

あっと驚くような奇跡をやってみせたらどうだ。
きっと皆が、この人こそメシアだと言って従うだろう。
もし失敗しても、後始末は神がしてくださるに違いない、というのです。

誘惑は三つとも、悪事を持ちかけているわけではありません。
権力を握れば、あらゆる課題を一気に解決できる。
あなたにはその力がある、とささやいたのです。

主イエスに託されたのは、僕として人々に仕えて、神の変わらぬ愛を伝えることでした。
強い力で一気に人々を救うのではなくて、苦しむ人や悲しむ人に神の愛を伝え、共に歩む。
そんな僕の道は、十字架へとつながっていきます。
荒れ野での誘惑は、神の子としてどう歩むかを確認するものだったのです。
(2021年1月31日)

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