わたしの愛する子

ルカ福音書3章21~38

「民衆が皆洗礼を受け、イエスも洗礼を受けて祈っておられると・・・」(3:21)

これは、「すべての民がバプテスマを受けた」という言い方です。
「すべての民」はありえないのですが、ルカはそういう捉え方をしています。
すべての民がバプテスマを受けるなかで、一人の人間として主イエスもバプテスマを受けた。
こうして、主イエスはすべての民と歩みを共にした、と語っているのです。

「洗礼を受けて祈っておられると・・・」(3:21)

ルカ福音書は、大切な節目で主イエスの祈る姿を書き記しています。
バプテスマを受けた後も、祈っておられた。
すると、その祈りに応えて天が開き、聖霊が降り、
天からの声が聞こえた、というのです。

「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」(3:22)

という声は、
詩編2篇と重なるように見えます。
しかし、王の即位を祝い、この王は陶器を砕くように敵を打ち破ると歌う詩編2篇は、
民衆と歩む主イエスとかけ離れています。

むしろイザヤ書42章と重なります。

「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。
わたしが選び、喜び迎える者を。
彼の上にわたしの霊は置かれ/彼は国々の裁きを導き出す。」(イザヤ書42:1)

「裁き」は、神の公正です。
弱い人を守り、声なき声を聞くことによって、偏りなくすべての人を愛する神の公正さを示す。
そんな僕を、主は喜ばれるのです。

「天が開け、聖霊が鳩のように目に見える姿でイエスの上に降って来た。」(3:21~22)

これは、これから始まる主イエスの活動が神によるものであると示しています。
ヨハネが捕らえられた後、主イエスの活動が神の出来事として始まった。
主イエスに聖霊が注がれ、神の力が満ち溢れていた、というのです。

「イエスが宣教を始められたときはおよそ三十歳であった。」(3:23)

主イエスは、ただの人として苦しみを味わい、
下積みの修行を重ねながら、三十歳にして活動開始の日を迎えた。
こうして、系図へとつながっていくのです。

ルカの系図には、77人の名前が挙げられています。
マタイ福音書の系図と違い、どんな人かよく分からない人の名前が並んでいます。
イスラエルの父祖アブラハムを越えて、最初の人間アダムにまでさかのぼり、
さらに神にいたります。

主イエスは、ただの人間の列の中に、
一人の人として加わってくださったのです。

そのつながりの最初は、神による人間の創造です。

神が人間を造り、命を注いでくださった。
そして、人間の長い命のつながりを、神が守ってくださった。
そのことを、この系図は示しています。
(2021年1月24日)

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