2016年8月28日

80周年記念式

 

 

 

2015年7月26日15時より、北九州市門司区藤松の日本キリスト教団門司大里教会にて、門司大里教会80周年の記念礼拝が執り行われた。

礼拝前、すでに教会員をはじめ、来賓の方々が全国から祝賀に駈けつけて来られ、多めに用意していた教会の椅子が足りなくなるほど、会堂は飽和状態に。
そして15時。中村有子さんのオルガンによる前奏曲が厳かに奏でられ、司会の中村和光主任牧師が招詞を読み上げた。

中村牧師 中村和光牧師(門司大里教会)

記念礼拝のはじまりだった。

 

総勢が起立して讃美歌456番「わが魂を愛するイエスよ」を賛美する。歌声は会堂の壁を震わせた。

つづいて古参の教会員、八木橋マスさんが教会員を代表して祈祷した。
ひたすら「感謝いたします」をくり返す訥々とした八木橋さんの祈りには、教会が危機的状態にあった頃の苦労や奇跡的に教勢を回復し無事80周年を迎えることのできた喜びが滲み出ていて、聞く者の胸を打った。

聖書日課が中村和光牧師によって読み上げられた。
80周年記念礼拝のテキストに選ばれたのは、新約聖書ヘブライ人への手紙12章1節から13節まで。

東島牧師 東島勇気牧師(宇和島中町教会)

記念礼拝の説教者は、15年前、存亡の危機にあった門司大里教会に赴任してこれを救い、現在は宇和島中町教会を牧しておられる東島勇気牧師。
東島牧師は、聖書箇所を1節ずつ順を追って意味を込めながらメッセージを伝える独自のスタイルをこの時も採用され、手紙の中にある「神の鍛錬」を、門司大里教会の2度にわたる大きな危機と重ね合わせて説教された。

 

門司大里教会の2度の大きな危機とは、次のようなものだった。

1つは、1944年に当時の山本繁夫牧師が召集され、その後ソビエト連邦に抑留されて、指導者不在のまま終戦、戦後の厳しい時代を迎えたこと。

1つは山本繁夫牧師の隠退の後、後任者問題をめぐって教会内に混乱が起こり、年ごとに信徒の数が減っていったこと。この無牧の状態はなんと20年間もつづき、最後には主日ごとに礼拝をまもる信徒はわずか4名になっていた。

東島牧師は、まず1つめの「鍛錬」から語った。

牧師不在の難しい時代、山本文江牧師夫人は5人の子供を抱え、難しい選択を迫られていた。疎開先の佐伯(大分県)に残ればなんとか食べて行く算段はできる。しかし教会はどうなるだろう。
文江夫人は意を決して子供を連れて門司大里教会へ戻り、食べる物も事欠くなか、決死の宣教活動に踏み切った。この時文江夫人の握りしめていた聖書の言葉が「我もし死ぬべくば死ぬべし(エステル記4・16文語訳)」だったという。

もう1つの「鍛錬」、20年間の無牧期間の試練は、門司大里教会の80年間のなかでも、最大の危機であったといえる。
教会員が次第に去って行き、最後には4人ほどになってしまった。
ところが驚くべきことに、それだけの人数になってなお、礼拝と教会学校、祈祷会を一度も欠かさなかった。
まさに「鍛錬として忍耐(ヘブル12・6)」した結果であった。そしてこの奇跡が、次の思いがけない奇蹟を呼ぶことになったのである。

東島牧師は当時のことをこう振り返る。
「人間的な思いも多々心の中を駈けめぐりましたが、今いちばん牧師を求めているこの教会の苦悶の声に自分を投げ出すことが、『初心に戻れ』との神さまの命に応えることと、妻と話し合いました」
東島牧師は「人間的な思い」とひと言で語ったが、それがどれほどあり得ない決断だったかは想像に難くない。
門司大里教会に赴任する前、東島牧師は福岡市内の大規模な教会を牧し、教団の九州教区議長の座にあった。永きに渡る地道で苦難の多い宣教活動の末にようやくたどり着いた地位であり収入であったはずだ。
これを自ら手離し、収入が見込めないどころか存続さえ危うい教会へ赴任する選択など、普通に考えれば、あろうはずがない。

だが東島牧師は2001年、荘厳なパイプオルガンの鳴り響く大規模な教会から、木製の古びたオルガンが一つあるばかりの門司大里教会に赴任した。
雲の上の人と思っていた偉い宣教者が、いきなり自分たちの牧師になると聞かされて、教会員たちがどれほど驚愕し狂喜したかについて、説教では触れられなかったが、この驚くべき出来事を転機に、門司大里教会は事実上息を吹き返したのだった。

およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛えられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです(ヘブル12・11)」

東島牧師の説教はこの聖書のみことばを証ししながら結ばれ、会衆の内に深い感銘を与えた。

讃美歌451番「くすしき恵み」を一同で賛美したあとは、北九州地区代表として、北九州復興教会の久多良和夫牧師から、そして在日大韓基督教会西南地方会からは会長であり小倉教会牧師の朱文洪牧師から、祝辞をいただいた。

久多良木牧師 久多良木和夫牧師(北九州復興教会)

 

 

 

朱牧師 朱文洪牧師(小倉教会)

 

祝電披露のあと頌栄27番を賛美し、東島牧師の祝祷をもって80周年の記念礼拝は閉じられた。

そのあとは一同そろって記念撮影をしたり、祝会では食べたり歌ったり爆笑したり。
来て下さったお客様からそれぞれお祝いの言葉をいただいたが、これが競って笑いを獲得しようというお笑い合戦の様相を呈し、日が暮れるのも忘れるほど、楽しく和やかな時間となった。
心から、キリストに賛美。
看板                             (文・写真 瀬崎博司)

 

 

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