土台はすでに据えられている

ルカ福音書6章43~49

「悪い」、「良い」という言葉が、
43節で2回、45節で3回繰り返されています。

ところが、43節と45節とで使われている言葉が違います。

43節の「悪い」はサプロスという言葉で、「腐っていて役に立たない」という意味です。
43節の「良い」はカロスという言葉で、「美しい」とか道徳的に「立派である」という意味ですが、
それが「役に立つ」、という意味に使われています。

一方、45節の「善い、良い」はアガソスという言葉です。
これは、神は憐れみ深く、慈しみに富み、情け深い御方である、という意味で使われます。

このアガソスと対になっている「悪い」ポネーロスは、
「邪悪な」という言葉です。

ですから、神がわたしたちを祝福して良いものを与えてくださっているアガソスと、
それを台無しにしてしまうわたしたちの邪悪な態度ポネーロスが、
対になっているのです。

このアガソスは、ヘブライ語のトーブという言葉につながっています。

創造物語で、

「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった。神は光を見て、良しとされた。」(創世記1:3~4)

「良しとされた」、これがトーブです。

一日ごとに創造の業をなさり、

「神はこれを見て、良しとされた。」(創世記1:10、12、18、21、)

という言葉が繰り返されます。
六日目に

「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。」(創世記1:31)

これもトーブです。
神がこの世界を造り、わたしたちを祝福してくださったのです。

「悪い人は悪いものを入れた倉から悪いものを出す。」(6:45)

は、

「あなたがたは不幸である。(災いだ)」(6:24~26)

につながっています。
あなたがたは、お金が欲しい、美味しいものを食べたい、
みんなから褒められたいという思いに支配されている。

そんな邪悪な思いから、良いものが出るはずがない、というのです。

自分一人いい思いをしよう、褒められたい、いい気分でいたい、
という思いに支配されているあなたがたは、
腐っている。

あなたがたの土台は大丈夫なのか。

「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建て」る(6:48)

というたとえは、
よほど気をつけないと間違った理解をすることになります。

賢い人は、しっかりとした土台の上に家を建てる。
どんな災害が起こっても大丈夫だ。
でも、愚かな人は、思わぬことで泣くことになる。

こういう教訓として読むのは、とんでもない間違いです。

しかし、教会は長いあいだこのたとえを、
賢く生きる教訓としてきたのです。

「イエス・キリストという既に据えられている土台を無視して、
だれもほかの土台を据えることはできません。」(第一コリント3:11)


すでに土台は据えられているのです。
そのことを認めて受け入れる、
そうすれば揺らぐことがないのです。
(2021年7月4日)

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