敵を愛しなさい

ルカ福音書6章27~36

「敵を愛しなさい」という言葉の前に、

「わたしの言葉を聞いているあなたがたに言っておく。」(6:27)

という前置きがあります。
これは、
「わたしに従いたいと願っているあなたがたに、ぜひ分かってもらいたい」、
と言って語られた言葉なのです。

「あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。」(6:27~28)

これは、とても具体的です。
あなたを困らせる人、苛立たせる人のために、祈ってあげなさい、というのです。

「いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深い・・・あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい。」(6:35~36)

「憐れみ深い」という言葉の奥深さを、レビ記19章から読み取ってみましょう。

「穀物を収穫するときは、畑の隅まで刈り尽くしてはならない。収穫後の落ち穂を拾い集めてはならない。ぶどうも、摘み尽くしてはならない。ぶどう畑の落ちた実を拾い集めてはならない。これらは貧しい者や寄留者のために残しておかねばならない。」(レビ記19:9~10)

これは、驚くべき掟です。
一粒も無駄にしてならない、とわたしたちは教えられてきました。

ところが、落ち穂や落ちた実は、「貧しい者や寄留者のために」残して置きなさい、というのです。

「不正な裁判をしてはならない。あなたは弱い者を偏ってかばったり、力ある者におもねってはならない。」(レビ記19:15)

「弱い者を偏ってかばってはならない」とは、
弱い者に味方して基準を曲げてはならないということではありません。
元気な人と同じ基準を当てはめて、弱い人を圧迫してはならないというのです。

律法を守ることができない者にも、神は愛を注いでおられる。
だからあなたも、怒りをもって反撃するのではなく、
「敵を愛しなさい」というのです。

これは、努力してもできることではありません。
これを掟のように捉えると、とても苦しくなります。

しかし、主イエスの十字架を仰ぎ、
自分も赦された人間なのだと思いいたる時、
神様、どうかあの人が穏やかな気持ちになるように、あの人を愛で包んでください、
と祈ることができるのです。

そのとき、敵を邪悪な者として憎み、
排除しようという思いから解き放たれるのです。
(2021年6月20日)

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