神の言葉が実現した

ルカ福音書4章14~21

ナザレの会堂での出来事は、マルコ福音書にもマタイ福音書にも出てきます。
しかし、イザヤ書から引用しているのは、ルカ福音書だけです。

「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、主の恵みの年を告げるためである。」(4:18~19)

「油を注ぐ」は、王の即位を表す表現です。
ここでは、神の使者として遣わされたことを意味しています。

「貧しい人」は、お金も頼る人もなく、自分の無力さを嘆く人すべてを表しています。

「主の恵みの年」とは、「ヨベルの年」のことです。
7年ごとに畑を休ませるのですが、これを7回繰り返した翌年つまり50年目がヨベルの年です。
ヨベルの年には、借金のカタに取っていた土地を元の持ち主に返し、
奴隷をすべて解放せよ、と定められています(レビ記25章)。

しかし、実際には無視されていたと言われます。

ルカ福音書は、イザヤ書を引用して、ヨベルの年の到来として神の救いを語っています。
主イエスの宣教活動が、今、始まろうとしている。
神の支配は、すべての人を自由にし、あらゆる束縛から解放する、と宣言するのです。

これは、
「身分の低い者を高く上げ、飢えた人を良い物で満たし・・・」(1:52~53)
と歌う「マリアの賛歌」とも重なります。

主イエスの福音は、すべての人をあらゆる束縛から解放します。
体の束縛だけでなく、社会的な束縛や伝統的な価値観からも自由にされるのです。

1960年代以降、中南米のカトリック教会を中心に「解放の神学」が広がりました。
独裁政権が続き、一握りの人たちが富を独占するなかで、
教会は貧しい民衆と共に歩むべきだとする運動です。
そこで大切に読まれてきた聖書箇所の一つが、今日の箇所です。

「解放の神学」は、富める者と結びついて体制を支えてきた教会、
そして貧困や抑圧を生み出す社会構造をきびしく批判しました。
この運動は、黒人の神学やフェミニスト神学へと広がっていきました。

そして、先進国の人々の豊かな暮らしが、
第三世界の人たちの犠牲のうえに成り立っていること、
また環境破壊をもたらしていることを警告したのです。

わたしたちは、居心地の良い暮らしにしがみつこうとします。
しかし、福音の力によって新たにされ、
真実の生き方へと解放される必要があるのです。
(2021年2月7日)

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