権威ある言葉

ルカ福音書4章31~37

カファルナウムの会堂で、主イエスの言葉に人々が圧倒されているところに、
「悪霊につかれた男」の言葉が響き渡ります。

「ああ、ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」(4:34)

あなたが何者か知っている、かまわないでくれ、と叫んだのです。

しかし、主イエスが

「『黙れ。この人から出て行け』とお叱りになると、悪霊はその男を人々の中に投げ倒し、何の傷も負わせずに出て行った。」(4:35)

「叱る」という言葉は、主の邪魔をする行為を退ける、
という文脈で使われます。

「人々は皆驚いて、互いに言った。『この言葉はいったい何だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じると、出て行くとは。』」(4:36)

癒しの業に驚いたというよりも、主イエスの言葉に神の力が宿っている、
神に逆らう悪霊を退ける力があることに驚いたのです。

「悪霊」という言葉には、何とも言えない響きがあります。
しかし、「神に逆らう思いにさせるもの」と言い換えると、どうでしょうか。

環境破壊が止まらず、地球の温暖化が進み、異常気象が続いています。
暮らしの仕方を変える必要があると分かっていながら、
わたしたちはいっそう快適な暮らしを求め続けています。

核爆発の引き起こす破壊的な被害を知りながら、
いつまでも核兵器を捨てることができません。

東日本大震災で深刻な原発事故が起こり、その後始末に手がつかないにもかかわらず、
こりずに原発を再稼動させようとしています。

それだけではありません。新型コロナの感染拡大が一向におさまらず、
ヨーロッパでは今もロックダウンしている国がいくつもあります。
それにもかかわらず、政府はなんとしてもオリンピックをやろうとしています。
世界中から、1万数千人の選手がやって来ます。
当然、オリンピックが終わった後、爆発的に感染が広がるでしょう。
リスクを無視し、異論を排除して、ひたすら当初の計画を推進しようとする。
不都合な事実から目を背け、現実を見ようとしない姿、
これこそ「悪霊」に取りつかれている姿といえます。

そんなわたしたちに、真実を見つめなさい、という声が響いてきます。

「黙れ。この人から出て行け」(4:35)

わたしたち自身の力ではとうてい難しいけれど、
主イエスの言葉によって、一歩踏み出すことができる、という希望を持つのです。
(2021年2月21日)

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