自由を得る

ガラテヤ書5章

「この自由を得させるために、キリストはわたしたちを自由の身にしてくださったのです。」(5:1)

キリストはあなたがたを、罪から、そして律法の掟から解放してくださった。
せっかく自由を得たのだから、キリストにならって、

「愛によって互いに仕えなさい。」(5:13)

また、

「隣人を自分のように愛しなさい」(5:14)

と続きます。

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「律法によって義とされようとするなら、・・・キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。」(5:4)

パウロが非難しているのは、「律法原理主義」です。
かつてパウロは、キリストに従う人たちを捕えて、迫害していました。
そんな自分の過ちを、心から悔いているのです。

「律法原理主義」は、律法から外れる人を敵として排除し、
相手を抹殺しようとさえします。

そういう恐ろしいものだということを、自らの経験から知っていて、
そこから自分が解放されたがゆえに、これほど激しい言葉で語っているのです。

「キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。」(5:6)

ここで「愛」アガペーは、
キリストが示してくださった愛を意味しています。
互いに仕え、相手を生かそうとする愛です。

「兄弟たち、あなたがたは、自由を得るために召し出されたのです。」(5:13)

「召し出す」(カレオー)は、
「呼び出す」「名を呼ぶ」という言葉です。

一人ひとり名前を呼ばれて、罪の力から解放された、というのです。

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「肉の業」(5:19)

として挙げられている最初の三つ、

「姦淫、わいせつ、好色」(5:19)

には、性的な響きがあります。
豊作祈願のために、性的な交わりを秘儀として祭儀の中心におく例が数多くあります。
そういう神々の礼拝につながることとして、ここに挙げているのです。

だからこそ、これに

「偶像礼拝、魔術・・・」(5:20)

と続くのです。

「泥酔、酒宴」(5:21)

も、異教の祭儀に深く関わっています。
神々の祭りで酒を飲み、道を踏み外さないように戒めているのです。

ですから、単純に悪徳を列挙して攻撃しているのではありません。
むしろパウロは、自分がおちいった律法原理主義から助け出されたことへの感謝を込めて、
ガラテヤの人たちに、愛によって互いに仕えよう、と勧めているのです。
(2020年10月25日)

 

 
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