約束を受け継ぐ

ガラテヤ書4章

 

ここでパウロは、「女奴隷」ハガルと「自由な身の女」サラという言葉を繰り返しています。
これは、律法に縛り付けられている人と、キリストによって自由にされた人を対比するためで、
5章の

「肉の業」(5:19)

「霊の結ぶ実」(5:22)

の対比につながっています。
あなたがたは律法の奴隷となることを望むのか、
それともキリストによって律法の束縛から解放され、自由な人として生きるのか。
こう問いかけようとして、創世記から引用したのです。(ただし、創世記の文脈からずれています。)

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自分たちはアブラハムの血を引く神から祝福された民だ、しかし異邦人は救いに与ることなどできない、とユダヤ人は考えている。
しかし実は、アブラハムを通してすべての人が神の祝福に入ることが、約束されている。

キリストの福音を受け入れたあなたがたは、
アブラハムの祝福を受け継ぐ者なのだ、というのです。
あなたがたはキリストの福音を知って、自由な人として新たな命を生きることとなった。
それなのに、エルサレムからやってきた人たちから、律法をしっかり守らなければ救いは得られないと言われて、律法の奴隷になろうとしている。
せっかく福音によって自由を得たのに、律法を足し算して、再び律法の奴隷になろうとするのか、と問いかけているのです。
ただキリストの真実を信頼して歩むことが、大切なのです。
ところが、つい不安になって、さらに付け加えようとするのです。
もっと立派な行いをしよう、きびしい修業や節制も必要だ、良いと言われることを全部足し算しようとします。
それによって、肝心なことを見失ってしまうのです。

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まだ足りない、まだ足りないとばかり、良いことを足し算して、良いことの奴隷になっていく。
そういう態度に対して、パウロはきびしく警告します。

福音によって自由を得たのに、
律法を守らなければ救いに与ることができないと主張する人たちに惑わされて、再び律法の奴隷になってはならない。

あなたがたは律法の奴隷になりかけている、
律法に縛り付けられて自由を失ってはならない、
と呼びかけているのです。
(2020年10月18日)

 

 
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