他人は救ったのに、自分は救えないのか

マタイ福音書27章27~44

ローマの兵士たちは、

「着ている物をはぎ取り、赤い外套を着せ、茨で冠を編んで頭に載せ、また、右手に葦の棒を持たせて、その前にひざまずき、『ユダヤ人の王、万歳』と言って、侮辱した。」(27:28~29)

王様であれば、紫の立派な衣装を着るところですが、
将校の「赤い外套」で代用したのです。

「茨の冠」は、茨のトゲが王冠の飾りと似ているところからきています。
粗末な「茨の冠」を王冠の代用品にして、嘲笑したのです。

王様が命令を下すときに用いる「王笏」の代用品として粗末な「葦の棒」を持たせ、
「ユダヤ人の王、万歳」と言って、あざけったのです。

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「唾を吐きかけ、葦の棒を取り上げて頭をたたき続けた。」(27:30)

言葉で侮辱しただけでなく、棒で殴り続けたのです。
しかし、主イエスは黙って耐えておられた。
イザヤ書53章の「苦難の僕の歌」につながる姿です。

ゴルゴタに着くと、

「苦いものを混ぜたぶどう酒を飲ませようとした」(27:34)

これは、詩編69篇につながっています。

「人はわたしに苦いものを食べさせようとし/渇くわたしに酢を飲ませようとします。」(詩編69:22)

後半は、48節につながっています。

「酸いぶどう酒を・・・イエスに飲ませようとした」(27:48)

詩編69篇22節の前半を34節で、後半を48節で受けています。

「苦いものを混ぜたぶどう酒」を飲むと、一瞬、苦痛は和らぎます。
しかし、その後、さらに激しい渇きと痛みが襲ってきます。

主イエスは、痛みを忘れることを拒絶なさった。
御心に従って、あらゆる痛みと苦痛を受け止めようとなさったのです。

「彼らは・・・くじを引いてその服を分け合い・・・」(27:35)

これは、詩編22篇につながっています。

「わたしの着物を分け/衣を取ろうとしてくじを引く。」(詩編22: 19)

有名な十字架上の言葉、

「エリ、エリ、レマ、サバクタニ・・・わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」(27:46)

これは詩編22篇の冒頭の言葉です。
詩編22篇は、正しい人が苦しみを受け、
侮辱され、神から見捨てられたという嘆きの中で、最後まで神の助けを求め続けます。
そして、最後に

「成し遂げてくださった恵みの御業を、民の末に告げ知らせるでしょう。」(詩編31~32)

と、主を賛美するのです。
この詩編22篇を土台にして、福音書は十字架の出来事を描いています。

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悪意と侮辱を身に受ける中で、
十字架の死を引き受けてくださった主イエスの姿に、あなたは神がここに働いておられることを見出すか。

なぜここまで侮辱を甘んじて受け、苦しみを引き受けて、十字架の死に進んで行かれたのか。
その意味があなたに分かるか、
ここに神の御心を読み取ることができるか、
と問いかけているのです。
(2020年8月2日)

 

 
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