ユダとピラト

マタイ福音書27章1~14

「イエスを裏切ったユダは、イエスに有罪の判決が下ったのを知って後悔し・・・」(27:3)

「悔い改める」メタノエオーは、神に立ち帰って考え方や行動を根本的に転換することを意味します。

しかし、この「後悔する」メタメローマイは、単に気持ちの変化です。

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「我々の知ったことではない。お前の問題だ」(27:4)。

「お前の問題だ」を直訳すると、
「お前は見るだろう」。
これは、ピラトの言葉と重なっています。

「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ。」(27:24)

同じ表現です。
「自分で後始末せよ」という意味の言葉です。

「このお金はお返しします。あの人は、無実です。」と訴えるユダの言葉を突っぱねた権力者の言葉「お前の問題だ」。
その同じ言葉をそのまま、ピラトは群衆と権力者に向かって、突き返します。
皮肉な表現です。

「そこで、ユダは銀貨を神殿に投げ込んで立ち去り、首をつって死んだ。」(27:5)

ユダは、祭司長たちのところに出向いて、銀貨を返そうとします。
彼は、神に赦しを乞うことができませんでした。
どこまでも自分の力で事態を打開しようとして、行き詰まって、死んだのです。

一方、ペトロは、鶏の鳴き声を聞いた時、主イエスの言葉を思い出して、自分が犯した過ちに気づきます。
情けなさと恥ずかしさに泣き崩れるなかで、ペトロは自分の罪を見つめます。
その後も仲間と一緒に過ごしながら、神に赦しを願ったのです。
そして、復活の主に出会います。

聖霊に満たされたペトロは、主イエスについて大演説をします。
使徒言行録に描かれているとおりです。
ペトロは、神の憐れみによって、立ち直ることができたのです。

「主に望みをおき尋ね求める魂に/主は幸いをお与えになる。」(哀歌3:25)

「神様、助けてください」と尋ね求める魂に、主は幸いをお与えになる。
「幸い」は、「トーブ」という言葉で、創世記1章に繰り返し出て来ます。

神は、一日一日、様々なものをお造りになり、「これを見て、良しとされた。」
この「良し」が「トーブ」です。
わたしが造ったこの世界、わたしが造ったあなたは、いい出来だ。これが、トーブです。

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エルサレムが廃墟となり、主だった人たちがバビロンに連行されるなかで、哀歌は歌われました。
何の希望もない、死んだ方がましだという人たちに向かって、
あなたは神から愛されている。主に望みをおき、神の助けを尋ね求めなさい。
こう呼びかけているのです。

哀歌の歌う神の愛を思い出すことができたなら、
ユダもペトロのように立ち直ることができたことでしょう。
(2020年7月19日)

 
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