神は共におられる

イザヤ書43章1~7

 

「ヤコブよ、あなたを創造された主は/イスラエルよ、あなたを造られた主は/今、こう言われる。恐れるな、わたしはあなたを贖う。」(43:1)

「贖う」とは、捕虜や奴隷にされた人を買い戻すという言葉です。

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「耳の聞こえない人よ、聞け。目の見えない人よ、よく見よ。わたしの僕ほど目の見えない者があろうか。わたしが遣わす者ほど/耳の聞こえない者があろうか。」(42:18~19)

ここで、「耳の聞こえない」、「目の見えない」は、比喩として言われています。
世の中で起こっているいろんな出来事から、神の御心を知ろうとしないのです。
民は、わたしに聞き従わず、逆らい、背き、罪を重ねた。
しかし、そんな民を赦し、贖うと宣言されるのです。

ヤコブは人の名前、イスラエルはヤコブの別名です。
ヤコブは、母リベカに入れ知恵され、
兄のエサウが狩りに出かけた留守に、父親をだまして神の祝福と財産を手に入れました。

兄の怒りを知ったヤコブは、逃げ出します。
罪の重さに震え、恐れと不安に眠れない旅の一夜、ヤコブは夢の中で神の声を聞きます。

「見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守り、必ずこの土地に連れ帰る。」(創世記28:15)

赦されることのない罪を犯したあげく、
逃げ出したヤコブに神が語りかけるのです。

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イザヤ書43章でも、

「わたしはあなたと共にいる。」(43:2、5)

と2回宣言されています。
どんな危険や困難にあっても、あなたと共にいる。
罪を重ね、背き続けるあなたを、わたしは見捨てない。

「わたしの目にあなたは価高く、貴く/わたしはあなたを愛し/あなたの身代わりとして人を与え」(43:4)
救い主メシアを与える。

「恐れるな、わたしはあなたを贖う。」
罪を重ね、背き続けるわたしたちを、
どこまでも赦し、受け入れ、
わたしたちを贖うために独り子を差し出された神を見上げて、
アドヴェントの日々を過ごしていきましょう。
(2019年12月8日)

 

 

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