目を覚ましていなさい

マタイ福音書24章32~51

 

冬のあいだ葉を落として、枯れてしまったかのように見えたのに、
初夏になると一気に緑の葉をつけて、収穫が近いことを告げる。そんないちじくを見て、

「人の子が戸口に近づいていると悟りなさい。」(24:33)

しかし、

「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。」(24:36)

その日がいつかご存知なのは、神だけ。
それなのに、どんな前兆があるなどと教える人がいるのは愚かなことです。

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「だから、目を覚ましていなさい。」(24:42)

でも、無理だろうなと、主イエスは分かっておられたはずです。
そのことに気づかないと、「情けない」と自分を責め、周りの人をとがめてしまいます。

「彼らに食事を与えさせることにした忠実で賢い僕は、いったいだれであろうか。」(24:45)

食事の分配というと、使徒言行録6章の記事を思い出します。
イエスを救い主と仰ぐ人たちが、教会で財産を共にして暮らしていた。
ところが、食事の分配を巡ってもめごとが起こりました。
食事を公平に分けることは、教会の指導者の大事な務めだったのです。

公平に分配しなければならない、差別や偏見があってはならないということは、社会全体にもあてはまります。

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今、新型コロナウイルスの感染拡大によって、大変な事態になっています。
そんなときいちばん弱い人にしわ寄せがきます。

主イエスの時代も、みんなが食べていくことは、差し迫った課題でした。
だから、食事の分配について、あなたがその役割を果たしなさい、
わたしの声を聞いたあなたしかいないではないか、と続くのです。

「主人は遅いと思い、仲間を殴り始め、酒飲みどもと一緒に食べたり飲んだりして・・・」(24:48~49)

暴力的に支配し、豊かな資源を浪費することを意味しています。
お酒は神の祝福の一つです。
しかしここでは、
食べ物がなくて苦しんでいる人がいるのに、知らん顔をして大酒を飲み、贅沢でわがままな暮らしを続けている、
それでいいのかと告発しているのです。

神に「忠実で賢い」とは、今の自分にとってどういうことなのか、
しっかり問い返しながら、歩んでいきましょう。
(2020年3月15日)

 

 

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