実を結ぶ

マタイ福音書21章17~22 

 

「朝早く、都に帰る途中、イエスは空腹を覚えられた。」(21:18)

大切なものが欠けているという、深い嘆きが押さえられなかったのです。
この時、主イエスは神の義に飢え渇いておられたのです。
前日エルサレム神殿の様子を見て激しい怒りを覚え、すべての人に開かれた「祈りの家」であるべきだ、と言われた。
そして、重い皮膚病の故に社会の片隅に追いやられたベタニアの人たちの姿に、心を痛められたのです。

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「彼らは、おとめなるわが民の破滅を/手軽に治療して/平和がないのに『平和、平和』と言う。・・・ぶどうの木にぶどうはなく/いちじくの木にいちじくはない。」(エレミヤ書8:11、13)

「平和」シャロームは、神と調和の取れた関係にあって、すべてが満たされている状態を言います。

正義と公正が失われ、世の中が歪んでいるにもかかわらず、偽りの平和がいつまでも続くと信じている有様を見た、エレミヤの言葉です。
いちじくの木は、神の民イスラエルを指します。実は、内実、神への真実です。
見かけは立派だが、真実がないのです。

「信じて祈るならば、求めるものは何でも得られる。」(21:22)

一心に祈れば願うことは何でも叶えられると考えるのは、大間違いです。
祈りは、自分の願いを実現するためではありません。
願いが叶えられるようにという思いが打ち砕かれ、願っていることは御心にかなうことなのか、と吟味されていく。
自分の願いが自分勝手なものであることに気づいたときには、問題は解決していることが多いのです。

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祈りは、切実な願いからスタートします。
しかし、祈り続けるうちに、「わたしの願いどおりではなく、御心のままに」という祈りへと導かれるのです。

「求めなさい。そうすれば、与えられる。」(7:7)

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。」(6:33)

御心が実現するようにと願い求める。
そうすれば、必要なものはすべて与えられるのです。
(2019年11月24日)

 
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