人を生かす神

マタイ福音書22章23~33 

 

サドカイ派は、神殿を頂点とするユダヤ社会の実権を握っていました。

「七人の兄弟が子を残さずに次々と死んだため、ある女性を次々と妻にした。復活があるというなら、この女性は誰の妻になるのか。」

と、正しい人の復活を教えるファリサイ派を茶化したのです。
夫に先立たれ、息子がいない女性は、一族で面倒を見るべきだという古代社会の考え方が、レビラート婚の掟の元になっています。

子を産む道具のように女性を扱い、女性がみずから判断することを許さなかったのです。

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「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」(22: 32)

これは、出エジプト記の引用です。
モーセは生まれてまもなく、ファラオの娘に拾われて、ファラオの家で育ちます。
しかし、乳母となったユダヤ人の母から、まことの神について教えられて育ちました。

ある日、ユダヤ人が虐待されているのを見て怒りに震え、そのエジプト人をひそかに打ち殺します。
別の日に、ユダヤ人どうしが喧嘩しているのをたしなめたところ、
「あのエジプト人を殺したように、この私を殺すつもりか」と言われて、自分の罪が露見したことに驚き、ミディアンの地に逃れます。
ミディアンで羊を飼っているとき、モーセは神の声を聞きます。

「わたしはあなたの父の神である。アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である。・・・わたしは、エジプトにいるわたしの民の苦しみをつぶさに見、追い使う者のゆえに叫ぶ彼らの叫び声を聞き、その痛みを知った。・・・今、行きなさい。わたしはあなたをファラオのもとに遣わす。わが民イスラエルの人々をエジプトから連れ出すのだ。」(出エジプト記3:6、7、10)

わたしには、何の力もありませんと言うモーセに、神が言われます。

「わたしは必ずあなたと共にいる。」(出エジプト記3:12)

これは、「あなたと共に生きて、あなたと共に働こうとする者だ」、という意味です。

「わたしはアブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である」(22: 32)

とは、単に「祖先の神である」ということではありません。
わたしは、アブラハムを助けようとして、アブラハムの神となった。
モーセよ、今、わたしはあなたの神となる、という宣言です。

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挫折し、うずくまっていたモーセを立ち上がらせた神は、「生きている者の神」(22:32)です。
希望を失い、打ちのめされて倒れているわたしたちに、もう一度立ち上がる力を与え、共に歩んでくださるのです。
もっとも弱い者、小さい者と共に歩むことこそ、神に従うことだと教えられた主イエスが、十字架に死んでくださった。
その主イエスが、わたしたちを命の息吹で満たしてくださる。

あなたも神の力に支えられて生きなさいと、今、招いてくださっているのです。
(2020年2月2日)

 

 

 

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