マタイ福音書25章14~30
1タラントンは6000デナリオン、20年分の賃金に匹敵する途方もない大金です。
「五タラントン預かった者は出て行き、それで商売をして、ほかに五タラントンをもうけた。」(25:16)
「商売をする」、「もうける」とは、どんな言葉でしょうか。
二人の息子がいて、父親が「子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい」(21:28)
と言います。
一人は、「いやです」と答えたが、思い直してぶどう園に出かけた。
このぶどう園で「働く」という言葉が、エルガゾマイ「商売をする」と同じ言葉です。
ナルドの香油の物語で、憤慨する弟子たちに主イエスが言います。
「なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。」(26:10)
「良いことをする」と訳されている言葉が、エルガゾマイです。
父親の期待に応えて託された仕事をする、主イエスへの信頼を精いっぱい表す、
これが「商売をする」の意味するところです。
「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」(16:26)
ここで、「手に入れる」が「もうける」ケルダイノーです。
「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。」(18:15)
「得る」がケルダイノーです。
「ある人が・・・僕たちを呼んで、自分の財産を預けた。」(25:14)
この「預ける」パラディドーミは、「引き渡す」、「託す」という言葉です。
受難物語で、主イエスをユダが祭司長たちに、祭司長たちがピラトに、ピラトが兵士たちに引き渡しました。
主人が僕に大金を預けたというタラントンのたとえは、
神がわたしたちに大切な独り子をお与えになったことと重なっています。
主人の信頼に応えたいと願って働いた僕に、主人は喜んで言います。
「主人と一緒に喜んでくれ。」(25:21、23)
直訳すると、
「お前の主人の喜びに入れ」です。
この「入る」という言葉は、「天国に入る」というときにも使われます。
しかし、預かった大金を土に埋めた僕は、主人の信頼を素直に受け取ることが出来ませんでした。
「怠け者の悪い僕だ。」(25:26)
「怠け者」とは、「ためらう」、「臆病な」という言葉です。
「恐れることはない、思う存分やってみなさい、わたしが見守っている。」
そんな主人の信頼を、素直に受け取ることができなかったのです。
タラントンのたとえは、「終わりの日」について語っているとも言えます。
あなたは、神の守りと愛を信頼して、大胆に思う存分働いたか。
失敗を恐れて、何もできないまま終わらないようにしなさいよ、と呼びかけられているのです。
(2020年3月29日)