マタイ福音書18章21~35
「一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。」(18:24)
1タラントンは6000日分の賃金です。
1年に300日働くとして20年分です。
1万タラントンはその1万倍ですから、20万年分の賃金になります。
これは、ユダヤ独特の誇張表現なのです。
「主君はこの家来に、自分も妻も子も、
また持ち物も全部売って返済するように命じた。」(18:25)
全部売っても、何の足しにもなりません。
家来は何と言ったか。
「どうか待ってください。きっと全部お返しします」(18:26)
返せるはずがないのに、苦し紛れに全部お返ししますと言った。
「主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。」(18:27)
ところが、この家来は外に出た途端、
「自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。」(18:28)
百デナリオンは100日分の賃金ですから、返そうと思えば返せる額です。
「仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。」(18:29)
「全部」という言葉がないだけで、先ほどの家来の言葉と同じです。
「しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。」(18:30)
これを知って、主君は言います。
「わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。」(18:33)
あれだけの罪を赦してもらったなら、すっかり生き方が変わるはずだ。
それなのに、仲間を冷酷に扱う。
そんなことでいいのか。
いっこうに変わらない頑なな心、冷酷さが問われているのです。
「兄弟を赦す」(18:35)
ことは、
「子供を受け入れる」(18:5)
ことと重なります。
「子供」とは、役に立たない人、邪魔ばかりする人、足手まといになる人です。
さらに、悪霊に取り憑かれた人、心の病を持つ人、障がいをかかえた人、
これが「子供」です。
「子供」を受け入れ、兄弟と共に歩むことが、神に従うことに通じるのです。
「あるがままわれを」(讃美歌433番)を歌いました。
あなたが来なさいと招いてくださるから、あるがままの姿であなたの前に出ます。
みっともない姿のままで、主イエスのみもとに立たせてください、という讃美歌です。
1万タラントンを棒引きにされたのはこのわたしだ、と
赦された喜びをかみしめて歩みましょう。
(2019年9月15日)