わたしもその中にいる

マタイ福音書18章15~20

 

「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい」(18:15)

これは、問題を円満に解決するための、当然の配慮のように思えます。
しかし、「忠告する」(エレグコー)は、
責める、懲らしめる、有罪とする、という意味の言葉です。

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新しい翻訳では、「とがめなさい」と訳されています。
「行って」は、「ただちに駆けつけて」なのです。
どうしようかと迷って、時を過ごすのではなく、「ただちに駆けつける」のです。

これは間違っているよと、率直に語る。
その気持ちが通じたらいいね、というのです。
これは、自分が正しい者として、あなたは間違っていると決め付けることとは違います。
自分も同じように罪を重ねてきたが赦された、
あなたも今のうちにやり直そうよと、親身になって語るのです。

「二人だけのところで」とは、
体面を取り繕うとか、表沙汰にしないでひそかに、
ということではありません。

友が滅びないように、全力で支え、祈るのです。
間違いを犯したことによって、心を閉ざし、人との交わりを断ち、
神に背を向けて闇の中を歩むようになっては大変だ、ここで引き返そうよと、率直に語るのです。

「どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、
わたしの天の父はそれをかなえてくださる。」(18:19)

この「願い事」は、この罪が赦されるように、新しい道を歩み直すことができるようにとの願いです。
この人が過ちの故に、神と人に背を向け、孤独と罪の中に死ぬことがないようにと、心を合わせて祈る。
その時わたしはそこにいる、と主イエスは約束してくださるのです。

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「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、

あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」(18:18)

「つなぐ」は「縛る」という意味で、
「罪に定める」こと、
「解く」は反対に「罪を赦す」ことです。

あなたがたが友の罪を赦すなら、神は必ず赦してくださる。
決して赦そうとしないわたしたちに、まずあなたが赦すことだ、と言われるのです。

自分は情けない人間だから、友に偉そうに言えない。
陰でひそかに祈るしかない。そういうことではありません。
まず駆けつけなさい。
そして率直に語りなさい。
あなたを失いたくない、立ち直ってほしいと、言葉を尽くして語りなさい。
そして、友を得なさい。その祈りは、必ず聞き届けられるのです。
(2019年9月8日)

 

 

 

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