まだ何か欠けていますか

マタイ福音書19章13~22

「永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」(19:16)

この問いは、ルカ10章にも出て来ます。
その答えは、マタイ19章とルカ10章で、前半は違うのですが後半は同じで、

「隣人を自分のように愛しなさい。」(19:19)

です。
この言葉は、実はレビ記19章18の引用です。

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この直前には、

「心の中で兄弟を憎んではならない。同胞を率直に戒めなさい。」(レビ記19:17)

という言葉があります。
これは、

「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。」(18:15)

と重なります。
「率直に戒めなさい」と「忠告しなさい」は、ほぼ同じ意味なのです。
「隣人を愛しなさい」という言葉は、兄弟が何か間違いを犯したときは、
率直に戒め、和解しなさい、という言葉を背景にしているのです。

「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。」(19:21)

これは、どういう意味でしょうか。
完全になろうなどという思いを貫くのは、とうてい不可能なことだ。
しかし、どうしても完全になりたいと言い張るのなら、すべてを売り払うほかないだろうね。

「完全に」という言葉は、ノアの洪水の物語で出て来ます。

「ノアは神に従う無垢な人であった。ノアは神と共に歩んだ。」(創世記6:9)

「無垢な」とは、生贄に捧げる羊などに「傷がない」という意味です。
人間が何一つ悪いことをしないなどということは、ありえません。
毎日のように人を傷つけます。
ノアは罪を犯さなかったわけではなく、ただ神と共に歩んだのです。

「完全な」という言葉は、マタイ福音書でもう一カ所出て来ます。

「あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」(5:48)

この言葉の直前に、こんな言葉があります。

「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。
父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。」(5:44~45)

神は「悪人」をも、善いもので満たしてくださる。
あなたは「悪人」のままで、神の祝福の中に置かれている。
そのことを感謝して歩みなさい、というのです。

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自分の力で、完全な者になろうとしてはならない。
そんなことを、神は望んでおられない。
神は、「悪人」も「善いもの」(トーブ)で満たしてくださることを知れ。
立派になろうとする考えから解放され、神の憐れみによって、
善い物を豊かにいただいていることを感謝して隣人と共に歩むこと、それに尽きるのです。
(2019年9月27日)

 

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