いったい誰が救われるというのか

マタイ福音書19章16~30

 

「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。」(19:27)

ペトロは胸を張って言います。
この言葉を聞いて、主イエスは何と言われたでしょう。

「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、
その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。」(19:29)

これを文字通り読むと、
たいせつな家族や財産を捨てない人は駄目だ、
ということになります。

でも、何の値打ちもない「子供」「小さな者」を、神様は大切にされるはずです。

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紀元70年代~ 80年代に、
キリスト教徒に対する迫害が始まりました。
ユダヤ教の会堂への出入りを禁止され、ローマ帝国からも迫害されるようになりました。

福音書はこうした時代状況を反映しています。
迫害のなかで、大切な家族を失った人たちがいました。
逃げるときには家や畑を捨てるほかありません。

すべてを失って一人ぼっちになったとあなたは嘆いているが、泣かなくていい。
信仰の友を得たではないか、救いを得たではないか、という励ましの言葉なのです。

マタイ福音書は、

「永遠の命を受け継ぐ。」(19:29)

という言い方をします。

「受け継ぐ」は、「財産を相続する」という言葉です。
この言葉が使われているのは、永遠の命は神からいただくものだからです。
立派なことや良いことをして、まことの救いを手にしようと考えるのは間違っている。
まことの救いは、功績や立派な行いによってではなく、
ただ神の恵みによって与えられるのだ、と語っているのです。

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「金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」(19:24)

これは、絶対に不可能だという誇張表現です。
しかし、これは当時の常識に反していました。
たくさんの財産を持っていることは、祝福されている証しでした。
だから、

「それでは、だれが救われるのだろうか」(19:25)

と弟子たちは驚いたのです。

「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」(19:26)

この言葉を聞いた人たちは、
アブラハムの妻サラの物語を思い出したことでしょう。

神は、諦めていた老夫婦に子供をお与えになった。
命を与え、喜びを与え、笑いをお与えになったのです。

人間は、自分の力で救いを手に入れることはできません。
ただ神の憐れみによって、まことの命、まことの喜びが与えられるのです。
(2019年10月6日)

 

 

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