つまずかせないように

マタイ福音書17章22~27

「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」(17:24)

毎年1回、20歳以上の男子は、銀半シェケルの神殿税を納めることとされていました。
銀半シェケルは、2日分の賃金にあたります。
畑でとれたものを食べ、釣った魚を食べるといった暮らしをしていた人々にとって、
現金を用意するのは簡単なことではありません。

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「地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」(17:25)

「ほかの人々からです。・・・では、子供たちは納めなくてよいわけだ。」(17:26)

これは直訳すると、
「では、子供たちは自由だ。」
です。

あなたがたは神の子だから、神殿に縛られない、と言われたのです。

「しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。」(17:25)

「つまずかせる」という言葉は、比喩的に「信仰を失わせる」、「罪を犯させる」という意味で使われます。

「湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」(17:27)

これは、初代教会の事情を背景にしています。
わたしたちは神殿から自由なのだから神殿税を納めなくていい、と考える人がいた。

しかし一方で、やはり神殿への義務を果たさなければならない、と考える人がいた。

大漁は、主イエスの権威と神の祝福を示しています。
あなたがたは神殿税を納めるべきかどうか議論しているが、神様から与えられた祝福の中から、お返しすることができるではないか、とユーモアを込めて言われたのです。

大原則は、「あなたがたは自由なのだ」です。

そのうえで、「小さい人たちをつまずかせないように」、なのです。
あなたの身を守るために、ではありません。
自分の身を守ろうとして、原則を崩していないか。
しかし、一方で原則を貫こうとして、弱い人をつまずかせないようにしなさい。
なかなか微妙です。

エルサレム神殿は、紀元70年にローマによって破壊されます。
その後、戦争の賠償金として、神殿税に相当する額をローマに納めよと命令が出されます。

黙ってローマに従うか、断固拒否するかという議論が、ユダヤ人社会を揺さぶったのです。

「あなたがたは自由だ」

神殿から自由だ、世の慣わしから自由だ、ローマから自由だ。
しかし、小さい者をつまずかせないようにしよう、と続くのです。

弱い人を守るために、あえて原則を曲げることがあっていい、原理原則を貫くことが正しいわけではない、ということでしょう。

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聖書には、主イエスに従おうとした人々の、迷いと苦しみがにじみ出ています。
日々問いながら歩むほかなかった。
一つひとつが決断だった。
そんなことを思いながら、わたしたちも日々の歩みを一つひとつ吟味していきたいと思うのです。
(2019年8月18日)

 

 

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