御言葉を聞いて悟る

マタイ福音書13章18~23

 

「御国の言葉を聞いて悟らなければ」(13:19)と、「御言葉を聞いて悟る」(13:23)は、ほぼ同じ内容です。
「御国の言葉」、「御言葉」(ロゴス)は、主イエスご自身を指しています。
あなたたちは、主イエスの言葉を聞いた。
主イエスに出会った。
しかし、聞いただけで悟っていなければ、つまずいてしまう。
あなたは大丈夫か、という問いが隠されているのです。

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「聞く」という言葉が、13章の1節から23節までに15回繰り返されています。

ヘブライ語で、「聞く」とか「見る」という言葉は、耳で聞くとか目で見るということを超えて、相手を理解するという意味を含んでいます。

「悟る」(13:19、23)は、シュニエーミというギリシア語です。
イザヤ書からの引用、「聞くには聞くが、決して理解せず」(13:14)
「心で理解せず、悔い改めない」(13:15)で、
「理解する」と翻訳されている言葉も、実は同じシュニエーミです。

マタイ福音書には、「天の国は次のようにたとえられる。」という言いまわしが、13:24、13:44、13:45、13:47、18:23、20:1、25:1に7回繰り返し出て来ます。
「天の国」は「神の国」と同じで、物理的な空間や場所ではなくて、神がすべてを支配しておられるという意味の言葉です。
聞いただけで理解しないままであれば、困難にあうとたちまちつまずいてしまいます。
「御国の言葉を聞いて悟る」、「主イエスの語ってくださった神の国についてのたとえを聞いて腑に落ちる。」
それは、わたしたち自身の力ではできません。
どうかわたしたちの心の目を開いて理解させてください、と祈り求めることが必要です。

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「種を撒く人」のたとえは、神がわたしたちを祝福して、豊かな収穫を与えてくださると語っています。
初代教会の人たちは、次々と挫折していく人たち、離れていく人たち、つまずく人たちの現実を見ながら、
何とかして主イエスの言葉にしがみついて、豊かな実りを与えてくださいと祈り求めた。
そうした中で、こういう教訓的な話を生み出したのです。
主イエスが語ってくださった言葉を何度も読み返しながら、御心を尋ね求める時、約束してくださった聖霊が与えられる。
平安が与えられる。
つまずかないで、最後まで歩き通そう。
そう互いを励ます言葉が語られているのです。
(2019年3月31日)

 
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