天の国の秘密を悟る

マタイ福音書13章1~17

 

「種蒔き」のたとえは、誤解されることの多いお話しです。

種は目に見えないほど小さな存在だが、大きく成長して豊かな実りを生む。
神様はわたしたちに豊かな実りを約束してくださっているという話なのです。

ところが、どこに種を蒔くかという点に注目したために、分からなくなってしまったのです。

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マルコ福音書では、良い土地に落ちた種だけが複数で、ほかの種はいずれも単数です。
ということは、例外はあるが、ほとんどの種は、良い土地に落ちて豊かに実を結ぶというのです。

ところが、マタイ福音書では種はすべて複数です。
となると、道端に落ち、石地に落ち、茨の中に落ちる種がかなり多くて、良い土地に落ちる種は四分の一程度しかないということになります。
信仰者の中にはせっかくの祝福を無駄にしてしまう人が大勢いるという話に変わってくるのです。

「イザヤの預言は、彼らによって実現した。」(13:14)

イザヤが神の言葉を伝えても人々が拒絶したのと同じように、主イエスが語る神の言葉を人々は受け入れようとしなかった。
これを、マタイ福音書は預言の成就として説明しています。

「持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」(13:12)

何を持っているのでしょうか。
あなたがたは、神に愛されている、大切な命をいただいている、豊かな祝福を受けている、と主イエスから教えていただいた。
主イエスに出会って、その温かさに触れた人は、その恵みをさらに豊かに味わうようになる、というのです。

後半の「持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。」は、本来、意味のない不要な言葉です。
前半の言葉を強調するために、対句の形をとっているのです。

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「しかし、あなたがたの目は見ているから幸いだ。あなたがたの耳は聞いているから幸いだ。」(13:16)

救い主に出会ったあなたがたは、幸いだ。
そのことを喜びなさい。
そうすれば、もっともっと豊かな実りを約束されていることが、本当に分かってくるよ、というのです。
あなたは十分豊かに与えられている。
十分豊かに祝福されている。
そのことに気づいて、喜びに溢れることができたら、もっともっと豊かな実りを感謝することができるようになる、という不思議が語られているのです。
(2019年3月24日)

 

 

 
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