天の国のたとえ

マタイ福音書13章44~52

「天の国は次のようにたとえられる。」(13:44、45、47)は、
「神の力がどのように働いているか、次のようにたとえることができる。」と言い直すことができます。
「畑に隠された宝」、「高価な真珠を見つけた商人」、
この二つのたとえに共通しているのは、宝を見つけた者の大きな驚きと喜びです。
神の力は隠されていて、目に見えません。
しかし、神の恵みは豊かに与えられているのです。
ただ、そのことを忘れている。
むしろ、大きな喜びを持って受け止めることが必要なのです。

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「網で魚を集めるたとえ」は、「毒麦のたとえ」と重ね合わせることによって、理解できます。
この世界に悪者がはびこっている。
しかし、あいつらを叩き出そう、と力んではならない。
最終的に神が悪を滅ぼしてくださるのです。

「あなたがたは、これらのことがみな分かったか。」(13:51)

「種を蒔く人」のたとえからの、一連の不思議なたとえの意味が分かったか、という問いです。
弟子たちは「分かりました」と言いました。
でも、主イエスの十字架の死と復活の出来事に出会うまでは、分からなかったのです。
主イエスは、十字架で確かに死なれた。
しかし、その殺された主イエスが、わたしたちと、今、確かに共にいてくださる。

主イエスに従おうとする一人ひとりに、新たな命を吹き込んで、

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(28:20)

と約束してくださる聖霊なるお方が、わたしたちと共にいてくださる。
この事実が、復活の出来事なのです。

共にいてくださる主イエスと出会い直し、その喜びに包まれるとき、
神の力がどのように働いているかが分かるのです。

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これは、心の持ちよう次第で不幸なことも幸せに思える、ということではありません。

「恐れることはない。」(28:5)、

「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20:19)

と、復活の主が語りかけてくださる。
そのとき、わたしたちの心から恐れが消え、怒りが消える。
そして、すべては神が裁いてくださる、神にすべてを委ねて、自分に与えられた道を進んでいこう、全力を尽くそう、という思いへ導かれていくのです。
(2019年4月28日)

 

 
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