イエスにつまずく

マタイ福音書13章53~58

 

「この人は、このような知恵と奇跡を行う力をどこから得たのだろう。」(13:54)

「この人はこんなことをすべて、いったいどこから得たのだろう。」(13:56)

54節を直訳すると、こうなります。

「どこからか、この男に、かくのごとき、知恵と力は」。

「イエスの権威と力は、神からのものだ。」という言葉が、隠されているのです。

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「大工の息子ではないか」(13:55)

という言葉は、たかが大工ではないか、何を偉そうに言っているのだと、軽んじているのでしょうか。
当時、ラビと言われたユダヤ教の教師は、手に職を持つことが奨励されていました。
ですから、この言葉は軽んじるものではなくて、子どものときからよく知っているよという言葉です。

「このように、人々はイエスにつまずいた。」(13:57)

こう言い換えると、はっきりします。

「人々は、主イエスを受け入れなかった。信じなかった。」
しかも、未完了形という時制です。
「つまずきっぱなしになった」という言い方です。
「人々は、神から遣わされた人、イエスを拒絶した。」というのです。

これは、ヨハネ福音書の冒頭と重なります。

「言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。」(ヨハネ1:11)

神は、いろんな人を通して、御心を示されます。
ときには小さな子供を通して、お年寄りを通して、病人を通して、あるいは日本に寄留している外国人労働者を通して、真実が語られることが起こる。

でも、わたしたちは、そういう切実な訴え、真実な言葉に耳を傾けようとしません。
また言っている。
あんな人の言うことを聞いても仕方がない、と聞き流すのです。

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わたしたちの周りで、いろんなことを呼びかけ、訴えているのは、生身の人間です。
欠点だらけの人かもしれません。
でも、そこで真実が語られているなら、耳を傾けて、手を差し伸べることが必要なのです。

神は、日々語りかけておられます。
わたしたちが心を開いて、小さな存在、弱い人の切実な訴えや嘆きの声に耳を傾け、共に歩むようにと待っておられるのです。
(2019年5月5日)

 

 
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