しるしを欲しがる

マタイ福音書12章38~42

 

「何人かの律法学者とファリサイ派の人々がイエスに、『先生、しるしを見せてください』と言った。」(12:38)

病人を癒しただけでは足りない。
もっと決定的な証拠を見せない限り、信じることができない、というのです。

主イエスは何とお答えになったでしょうか。

「よこしまで神に背いた時代の者たちはしるしを欲しがるが、預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。(12:39)

「よこしまな」は、「神に敵対する」という意味の言葉です。
「背いた」は、姦淫につながる言葉です。
偶像礼拝に走るイスラエルを、「夫を裏切って不貞を重ねる妻」として描くのは、旧約聖書以来の伝統です。

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「主はホセアに言われた。『行け、淫行の女をめとり/淫行による子らを受け入れよ。』」(ホセア書1:2)

「不貞の罪を犯した妻を受け入れ、不貞によって生まれた子供を自分の子として受け入れよ」、という命令です。

「わたしはあなたとまことの契りを結ぶ。あなたは主を知るようになる。」(ホセア書2:22)

神は裏切った民と、まことの契りを結ぶ。
あなたは主を知るようになる。

「知る」とは、「男と女が深い契りで結ばれる」という言葉です。
男と女が深い契りで結ばれて一体となるように、あなたがたは神であるわたしと深い信頼関係で結ばれる。

「さあ、我々は主のもとに帰ろう。」(ホセア書6:1)

「帰る」シューブは、「悔い改める」という意味の言葉です。

「主は我々を引き裂かれたが、いやし/我々を打たれたが、傷を包んでくださる。二日の後、主は我々を生かし/三日目に、立ち上がらせてくださる。我々は御前に生きる。」(ホセア書6:1~2)

「立ち上がらせる」は、「復活」につながる言葉です。
「背きを重ねたにもかかわらず」というホセアの言葉が響いてきます。
これは主イエスの福音にぴったりと重なる、神の愛と赦しを示す言葉です。

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「預言者ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない。つまり、ヨナが三日三晩、大魚の腹の中にいたように、人の子も三日三晩、大地の中にいることになる」(12:39~40)

「大地の中」は、「死者の世界」を意味します。
「三日三晩、わたしは死者の世界にいた」、しかし、死者の世界から引き起こされる。
つまり、「主イエスの復活こそがしるしであり、ほかにしるしは与えられない。」

だから、主イエスの言葉と振る舞いをしっかりと受け止めなさい、と言われたのです。

(2019年3月3日)

 

 
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