花婿と共に喜ぶ

ルカ福音書5章33~39

「ヨハネの弟子たちは度々断食し、祈りをし、ファリサイ派の弟子たちも同じようにしています。しかし、あなたの弟子たちは飲んだり食べたりしています。」(5:33)

「どうして、あなたたちは断食しないのか。」と言って、
主イエスを非難したのです。

レビ記16章に、年に一度の断食が定められています。

大祭司が至聖所に入って贖いの儀式をおこなうことにより、民の罪と過ちが赦される。
これは、すべての人に課せられた断食です。

バビロン捕囚以降、エルサレムが破壊されたことを忘れないために、四つの断食日が追加されました。
主イエスの頃には、ファリサイ派は週2回断食していました。

真面目に生きようとして、厳しい掟を課すようになるのです。

徴税人レビは、主イエスから「わたしについて来なさい」と言われた喜びを爆発させて、
仲間を呼んで宴会を始めました。
その喜びに水を差すように、もっと真面目に生きろ、何を浮かれているのだ、
と冷ややかな言葉を浴びせてきたのです。

これに対して、主イエスはユーモアで返されました。
花婿と一緒にいるのに、断食するだろうか。
花婿が一緒にいるときは、喜びを爆発させればいいのだ。

今日の記事の背景に、初代教会に起こった論争が重なっています。

初代教会には、
律法を守って生きてきたユダヤ人、
徴税人のようにユダヤ社会から排除されていた人、
そして異邦人がいました。

律法の掟や伝統的な禁令を守り続けつつ、主イエスの福音を加えていくのか、
それとも福音の喜びに生きるのか。
この選択が迫られていたのです。

そんな中で、大切なことは主イエスと一緒にいる喜びではないのか。
主イエスが共にいてくださるのだから、喜びを素直に表現して、
のびのびと生きればいいのだ、
と呼びかけているのです。

「だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。」(5:37)

新しいぶどう酒は、発酵が続いています。
伸びきった古い革袋に入れたら、ガスの圧力で革袋を突き破ってしまいます。
新しい力が溢れているとき、古い器に収めようとしても、
その器は保たない、というのです。

主イエスに出会った喜びが弟子たちにみなぎっているので、
断食して悲しみを表す暇などない。

その喜びにあふれた態度が、あなたたちを驚かせているのだ、
というユーモアにあふれたたとえです。

わたしたちは、古いものをどれほど抱え込んでいるでしょうか。
古いものを変えていく力は、主イエスから与えられた喜びを素直に喜ぶことから生まれます。
わたしたちが、どれほど福音の喜びに満たされているか、
その一点にかかっているのです。
(2021年4月11日)

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