ルカ福音書5章1~11
この時シモンは、夜通し漁をしたのに何も獲れなくて、むなしい思いで網を洗っていました。
そこに、主イエスが舟を出してほしい、あなたの舟から皆に話しをしたい、と言われたのです。
「話し終わったとき、シモンに、『沖に漕ぎ出して網を降ろし、漁をしなさい』と言われた。」(5:4)
シモンは漁師ですから、
太陽が高く昇ってから網を降ろしても、魚が獲れるはずがないという気持ちがあった。
そこで、ちょっと逆らって、
「先生、わたしたちは、夜通し苦労しましたが、何もとれませんでした。しかし、お言葉ですから、網を降ろしてみましょう」(5:5)
と答えた。あなたがそうおっしゃるなら、無茶な話だがやってみましょう。
すると、おびただしい魚が網にかかった。
「これを見たシモン・ペトロは、イエスの足もとにひれ伏して、『主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深い者なのです』と言った。」(5:8)
「離れる」という言葉は、悪霊にとりつかれた男から悪霊を追い出す場面で出て来ました。
「黙れ。この人から出て行け」(4:35)
この「出て行け」と「離れてください」は、まったく同じ言葉です。
自分は、今、聖なる方の前にいる。
罪深い自分が、神の前に立たされている。
わたしは死ぬほかない、と震えあがったのです。
この場面は、イザヤ書6章と重なります。
「災いだ。わたしは滅ぼされる。わたしは汚れた唇の者。」(イザヤ書6:5)
わたしは汚れた言葉を口にし、神を冒涜した。
こう、震え上がって叫んだのです。
「彼(神の使い)はわたしの口に火を触れさせて言った。
『見よ、これがあなたの唇に触れたので/あなたの咎は取り去られ、罪は赦された。』」(イザヤ書6:7)
続いて、主の声が聞こえてきます。
「誰を遣わすべきか。」イザヤが応えて言います。「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください。」(イザヤ書6:8)
イザヤと同じように、シモンも罪にまみれた人間でした。
それなのに、
「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる。」(5:10)
と主イエスが声をかけてくださるのです。
「人間をとる漁師」は、「人間を生け捕る者」という表現です。
生きる力を失った人々に働きかけて、神の命の力で満たすのです。
シモンは、高熱で苦しむしゅうとめが、主イエスに癒していただいた姿を目の前で見ました。
それでも、主イエスの話を聞こうとせず、漁をしていたのです。
そんなかたくななシモンが、一気に変えられたのです。
神から遠ざかろうとする人、逆らう人に近づいて、声をかけてくださる。
「わたしに従いなさい。わたしのもとに帰って来なさい」
と働きかけてくださるのです。
(2021年3月7日)