異邦人に及ぶ祝福

ガラテヤ書3章1~14

「ああ、物分りの悪いガラテヤの人たち」(3:1)

実に激しい言葉です。
子を思う親の気持ちに似た、パウロの熱い思いが溢れ出しています。

ガラテヤの教会には、異邦人だけでなく、ユダヤ人であってキリスト者になった人が数多くいました。
子供の頃から叩きこまれた律法の規定を引き続き守っていくのか、それともきっぱり打ち切るのか迷う人たちに向かって、
律法を守り続けようと考えるのは、キリストの福音を無にすることになる、とパウロは語ります。

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「あなたがたが“霊”を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも、福音を聞いて信じたからですか。」(3:2)

「霊」はプネウマ、「聖霊」にも通じます。
元々の意味は「風」「息」です。
ヘブライ語ではネフェシュです。

「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり、その鼻に命の息(ニシュマット・ハイーム)を吹き入れられた。人はこうして生きる者(ネフェシュ・ハヤー)となった。」(創世記2:7)

神の命の息(聖霊)が注がれるとき、
まことの命を得て、生きる者とされるのです。

「風(プネウマ)は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。」(ヨハネ3:8)

風は目に見えないが、確かに吹いている。
神の力は目に見えないが、確かに働いているのです。

「律法を実行することによって、義とされる」と主張する人たちに対して、
福音を聞いて、神を信頼した時、神の息吹が注がれ、命の力が満ち溢れた、というのです。

「あなたのゆえに異邦人は皆祝福される」(3:8)

これは、創世記12章の引用です。

「地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」(創世記12:3)

説教でよく取り上げられるのは、1節です。

「主はアブラムに言われた。『あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/わたしが示す地に行きなさい。』」(創世記12:1)

この言葉は、日本のキリスト者の心に響きました。
明治から昭和の初期において、キリスト教への入信は、勘当を覚悟のうえでのことでした。

ここで見逃してならないのは、

「祝福の源となるように。」(創世記12:2)

「地上の氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」(創世記12:3)

という言葉です。

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何のために旅立つのか。

すべての人の祝福の基となる使命を与えられたのです。
パウロはこの言葉を引用して、アブラハムに対する祝福の約束は、異邦人も含めてすべての人が祝福されるためであったと語るのです。
(2020年10月4日)

 

 

 
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