ガリラヤで復活の主に会う

マタイ福音書28章1~10 

「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。」(28:5~6)

「ここ」とは、「墓の中、死者の中」です。

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「かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」(28:6)
「あの方は死者の中から復活された。」(28:7)

「復活した」エゲイローという言葉は、「目を覚ます」、「起きる」という言葉です。
ここでは受身形で、「死者の中から、神の手によって起こされた」というのです。

「そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。」(28:7)
「そこでわたしに会うことになる。」(28:10)

「見る」「お目にかかる」「会う」、同じホラオーという言葉です。
旧約聖書で「見る」という言葉は、目で見るだけでなくて、
「分かる」「認識する」「出会う」という意味でも使われます。
ここで墓が空であることを見る。
ガリラヤで、復活の主に会う。
ガリラヤで、復活の主に出会い直す。
主イエスとはどんなお方か、あらためて知ることができるというのです。

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「ガリラヤ」は、緑豊かな美しい地域で、繁栄していましたが、エルサレムの人たちから軽蔑されていました。
異邦人がたくさん住んでおり、汚れた町とされていたのです。
そしてガリラヤは、漁師や徴税人であった弟子たちが、主イエスに出会った場所です。
上辺を取り繕うことなく主イエスと出会い、新しい歩みを始めたのがガリラヤです。
「罪人」とされている人も、「汚れた人」とレッテルを貼られている人も、神に愛されている。
偏見を取り去って、愛し合いなさいという、祝福に満ちた主イエスの言葉を聞いた場所、それがガリラヤです。

律法にがんじがらめになったエルサレムではなく、
清いものと汚れたものが入り混じったガリラヤで、
緑の風が吹き渡るガリラヤで、
もう一度主イエスと出会い直しなさい。
喜びの教えと不思議な出会いを経験した、ガリラヤの日々を取り戻しなさい。
そこで、復活の主と出会い直すことができる。

「ガリラヤで」、主イエスに出会い直すことによって、
自分を飾っている偽りから自由になることができ、
恐れが消え、新たな歩みを始めることができるのです。
(2020年8月23日)

 

 
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