いつもあなたがたと共にいる

マタイ福音書28章16~20 


「さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示しておかれた山に登った。」(28:16)

「指示しておかれた山」は、「教えを語った山」と考えることができます。

「しかし、疑う者もいた。」(28:17)

「疑う」ディスタゾーは、「心が二つに分かれている」、という言葉です。
弟子たちの中に疑う者がいたというのですが、むしろ一人ひとりの心が揺れ動いていた、とも言えます。

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「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」(28:18)

十字架で無惨に殺された主イエスが、すべての権能を授かったとは、どういうことでしょうか。
弟子たちは、主イエスに従って、
立派な教えを身につけ、立派な行いを重ねよう、それが神の御心にかなうことだ、と考えました。

ところが、主イエスは十字架で無惨な姿で死んでいかれた。

そんな主イエスに、復活の命が与えられた。
ここに神の御心が示されている。
立派な知識を身に付け、立派な行いを重ねることが求められるのではない。
小さい者、弱い者と共に歩む、その歩みを神が良しとされるのです。

「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」(28:19)

ここで「民」と訳されているのは、複数形でエスネー、「異邦人」という言葉です。
あなたがたはこれまで、イスラエルの民を神のもとに立ち帰らせなさい、と教えられてきた。
しかし、あえて言う。
異邦人を、わたしの弟子にしなさい。
ここに、大きな転換があります。

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「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(28:20)

「終わり」という言葉は、「完成する」という意味を含んでいます。

「神が救いを完成するときまで、いつもあなたがたと共にいる。」
すべての人をわたしの弟子にしなさい、
わたしの教えをすべて守るように教えなさいと命じられ、
不安な思いを抱え、心が揺れている弟子たちに、この声が響くのです。

あなたが不安な時も弱気になっている時も、わたしはあなたと共にいる。
だから、恐れることはない。
わたしが語ったこと、教えたことを、すべての人に伝えなさい。
あの人に言っても無駄だ、
あの人は救いから遠いなどと、
あなたが福音を閉ざしてはならない。

すべての人が招かれている。
すべての人が神に愛されている。

だから、すべての人にわたしが語ったことを、神の愛を語り伝えなさい。
わたしが共にいる、決してあなたを見捨てない、
と約束してくださっているのです。
(2020年8月30日)

 

 
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