あなたの罪は赦された

ルカ福音書5章17~26

中風の人が運ばれてきます。

「しかし、群衆に阻まれて、運び込む方法が見つからなかった」(5:19)

そこで、友人たちは

「屋根に上って瓦をはがし、人々の真ん中のイエスの前に、病人を床ごとつり降ろした。」(5:19)

「中風を患っている人」は、重い罪を犯したためにその罰を受けたとされ、社会的には死んだも同然でした。
また、望みを失い、生きていても甲斐がないという思いにとらわれている人を象徴しています。

「イエスはその人たちの信仰を見て、『人よ、あなたの罪は赦された』と言われた。」(5:20)

この言葉を、律法学者たちとファリサイ派の人々が非難します。

「神を冒涜するこの男は何者だ。ただ神のほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか。」(5:21)

罪を赦すことができるのは、神だけである。これは、神を冒瀆する言葉だ。

主イエスが、問いかけます。

「『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらが易しいか。」(5:23)

この問いには、皮肉が込められています。
「あなたの罪は赦された」と言っても、罪が赦されたかどうか、誰にも分かりません。
ですから、口で言うだけなら、簡単なのです。
一方、「起きて歩け」と言って、起き上がれなかったら、その言葉に力が無いことがたちまちばれてしまいます。

彼らは、こう思ったのです。
イエスは中風の人を癒すことができないので、「あなたの罪は赦された」と言って、うまく逃げたな、と。

彼らの思いを、主イエスは見抜きます。
それなら、あなたがたが難しいと思っている方をやってみせよう。
中風の人が立ち上がったら、わたしが「罪を赦す権威を持っていること」(5:24)が、はっきり分かるだろう。

「起き上がり、床を担いで家に帰りなさい」(5:24)
「その人はすぐさま皆の前で立ち上がり、・・・神を賛美しながら家に帰って行った。」(5:25)


「起き上がる」エゲイロー、「立ち上がる」アナステーミ、という言葉です。
どちらも、主イエスの復活を伝える場面で使われる言葉です。
望みを失ってただ寝ているしかなかった人、生きる意味を見失っていた人が、
主イエスの言葉によって、起こされ、立ち上がり、家族や共同体のもとに帰っていったのです。

ここで忘れてならないのは、友人たちの行動です。
中風の友人を、何とかして元気にしてやりたいと願って、
主イエスのもとに連れて行こうとします。

中風の人は、この病気はもう治らないと諦めていました。
神に望みをおくことを忘れていました。

しかし、友人たちに励まされて、主イエスのもとに連れて来られた。
そして、神にすがろうという気持ちを取り戻したのです。
(2021年3月21日)

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