呼びかけに応える

マタイ福音書11章16~24

 

「ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い」(11:18)

これは、バプテスマのヨハネの禁欲的な態度に対する揶揄です。
あいつは気が狂っている、まともな暮らしをすべきだと言って批判した。

一方、主イエスが徴税人と共に食事していると、

「見ろ、大食漢で大酒飲みだ。」(11:19)

どうしてあんな連中と一緒に宴会などするのか、と悪口を言ったのです。

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「イエスは、数多くの奇跡の行われた町々が悔い改めなかったので、叱り始められた。」(11:20)

「叱る」はギリシア語で「オネイディゾー」、
その元になった「オネイドス」には「辱め」という意味があります。
主イエスの受けた「恥辱」とつながっているのです。

「悔い改めない人々を叱る」は、
「神に立ち帰ろうとしない人々に、恥じる気持ちを呼び起こそうとされた」
と言い換えることができます。

「悔い改め」は、ヘブライ語で「シューブ」、「神に立ち帰る」、
そしてギリシア語で「メタノイア」、「方向転換する」という言葉です。

これまで歩んで来た行動の軸を変えることです。
成功を手にしたい、みんなから褒めてもらいたいと願ってひたすら走って来た生き方を、
大きく方向転換する。
これが、「悔い改め」です。

「ソドム」(11:23)は、悪徳の故に滅びた町として語り継がれてきました。
「ティルス」(11:21)は、地中海貿易によって繁栄しました。
ソロモンがエルサレム神殿を建てた時に、レバノン杉などの資材を提供し、建築職人を派遣しました。
しかし、その富や技術とともに悪徳が持ち込まれ、イスラエルは退廃していったのです。
「シドン」(11:21)も地中海沿岸の町です。
北王国イスラエルの王アハブは、シドンからイゼベルを王妃に迎えました。
バアルの神々を王宮に持ち込み、王にバアルの神殿を建てさせた悪女イゼベルと結びついて、シドンは記憶されたのです。

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「カファルナウム、お前は、/天にまで上げられるとでも思っているのか。陰府にまで落とされるのだ。」(11:23)

お前の罪はソドムよりも、ティルスやシドンよりも重いと嘆きながら、
彼らの救いのために主イエスは全力を尽くして歩まれた。
そしてついに祭司長や律法学者たちの恨みを買って、十字架につけられたのです。

ここには、主イエスの言葉を聞いても、決して生き方を変えようとしない人々を見捨てない主イエスの愛があふれています。
救いがたいわたしたちの態度にもかかわらず、
主イエスは十字架への受難の道を歩んでいかれた。
そして、互いに愛し合いなさい、赦し合いなさいと語ってくださったのです。
(2019年1月27日)

 

 

 

 

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