2016年11月20日

人権尊重こそ平和への道

「人権尊重こそ平和への道」

           日本基督教団門司大里教会  中村和光牧師

 

 

 7月の参議院選挙の結果、衆参両院で「改憲勢力」が三分の二を占めることになりました。しかし、安倍首相は「憲法審査会で静かに議論を」との構えから一向に踏み出そうとしません。

来年早々と噂される次の総選挙までは「だんまり戦術」で行き、逆風をかわそうというのでしょう。

 ところで、なぜ憲法改正に反対するのか、その論点をしっかり見定めておくことが大切ではないでしょうか。「二度と戦争を繰り返さないよう、憲法九条を守る」という点については、すでに多くの方が述べておられますので、今回は「人権」について考えてみたいと思います。

 今日の日本社会における大きな問題の一つは、非正規雇用の拡大です。現在、働く人の4割が非正規雇用です。低賃金や将来に対する不安だけでなく、社会から大切にされないことへの怒りが蓄積していくと、恐ろしい結果を招きます。ヨーロッパ諸国で移民受入への反発が高まっているのも、生活苦からくるいらだちと不安がその原因であるという見方があります。また、たとえ正社員であっても、長時間労働の常態化と成果主義のプレッシャーで、心と身体がすり減っているように見えます。

自民党の憲法改正草案では、憲法97条(基本的人権の由来特質)が丸ごと削除されています。自民党の憲法改正プロジェクトチームによる論点整理では、基本的人権を「侵すことのできない永久の権利」と定める憲法は「行きすぎた個人主義」を招き、家族や共同体の破壊につながったとしています。

 しかし、何よりも国家を重んじた明治憲法の下で、人々の暮らしはどうだったでしょうか。私たち戦後生まれの者にとっては信じがたい話ですが、飢饉にあえぐお百姓が娘を売るという話はほんの80年ほど前の話です。人権思想の欠如は、人命軽視にもつながります。炭鉱や建設現場での危険な労働、タコ部屋の横行だけではありません。旧日本軍における「新兵いびり」、初年兵への陰湿な暴力行為は、誰も否定することが出来ないでしょう。自国の兵士を暴力にさらして恥じなかったのですから、「徴用」という名目で朝鮮の人々を強制労働につかせるなど、「戦時下では当然」と考えたのでしょう。

 私たちが平和を願うとき、自分たちの平穏な暮らしを守りたいというだけであってはならないのです。近隣諸国の人々の命や暮らしを脅かすことがあってはならない、と決意することが必要です。かつて日本は「八紘一宇」「大東亜新秩序」を掲げて、アジア諸国を蹂躙しました。欧米の列強をアジアから追い出して一つの共同体を形成する、そのための正義の戦いだとしたのです。しかし、実際は略奪のすえの玉砕でした。アジア諸国を見下し、人命を軽視した無謀な戦争でした。その根底に人権思想の欠如があったのです。

 自民党改憲草案の前文は、「日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち」という文章で始まっています。「万世一系の天皇をいただく日本人はどの民族よりも優れている」との優越感が、アジア諸国蔑視につながり、侵略戦争への道を向かわせたことを考えれば、「美しい日本」を掲げる憲法改正は、はなはだ危ういと言わざるをえません。

 経済優先ではなく、小さな命や弱い人を大切にすること、民族や文化の違いを超えて互いに認め合う関係を作りだすことこそが、平和への道につながるのです。

 

                                  (「キリスト者・九条の会」北九州 会報第31号 2016年11月10日発行)

 

 

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